川ア祐宣先生は、1904(明治37)年鹿児島県に生まれた。岡山医科大学を卒業後、1939(昭和14)年35歳の時、岡山市に外科医院を開業し、「年中無休、昼夜診療」を看板に、「患者に親切、手術がうまい」医者として評判を博す。
戦後、規模が大きくなった「川崎病院」は財団法人化し、川ア先生は院長として先頭に立って働かれた。日々の診療の中で、肢体不自由児や体の不自由な老人がおり、適切な治療や教育を受けていないのを目の当たりにされ、福祉サービスの必要性を痛感、「自分が何とかしなければ」という思いを強くされた。医療と福祉が一体となった医療福祉の理念を抱き、その実践として旭川荘を構想される。
岡山博愛会理事長の更井良夫、岡山県知事の三木行治等の協力、支援を得て、昭和29年7月24日旭川荘の創設を発表し、「旭川荘設立趣意書」を公にされた。
2年間の準備期間を経て、昭和32年4月旭川荘は、肢体不自由児施設「旭川療育園」、知的障害児施設「旭川学園」、「旭川乳児院」の3つの施設で発足、川ア先生は初代の理事長に就任された。30年近く理事長職にあって、創業者として旭川荘の基礎を築かれた。昭和60年理事長を江草安彦先生に譲り、名誉理事長に就任される。
一方、良医の育成の必要性を痛感され、昭和45年川崎医科大学を設立された。平成3年には川崎医療福祉大学を開学、志の高い医療福祉の実践者と研究者の育成に取り組まれた。
このように医療、福祉、教育の領域で活躍され、大きな足跡を残された川ア先生は、平成8年6月2日92歳で永眠された。先生の「敬天愛人」という精神は、旭川荘の基本理念となって今日まで脈々と受け継がれている。
明治37(1904)年 | 鹿児島県で生まれる |
昭和 6(1931)年 | 岡山医科大学卒業 |
昭和14(1939)年 | 岡山市西中山下に外科川崎病院を開設 |
昭和25(1950)年 | 財団法人川崎病院を設立、理事長、病院長に就任 |
昭和31(1956)年 | 財団法人旭川荘(昭和34年社会福祉法人に変更)を設立、理事長に就任 |
昭和45(1970)年 | 学校法人川崎学園を設立、理事長に就任 川崎医科大学開設 |
昭和46(1971)年 | 山陽新聞社賞(教育功労)受賞 |
昭和47(1972)年 | 三木記念賞受賞 |
昭和60(1985)年 | 岡山県名誉県民 社会福祉法人旭川荘名誉理事長に就任 |
昭和63(1988)年 | 学校法人川崎学園名誉理事長に就任 |
平成 3(1991)年 | 川崎医療福祉大学開学 |
平成 8(1996)年 | 逝去 |